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DSAT災害洗濯支援チーム インタビュー(前編)

2024年の元旦に、令和6年能登半島地震が発生しました。この地震をきっかけに、洗濯とクリーニングで被災地をサポートする「DSAT(ディーサット)災害洗濯支援チーム」は誕生しました。DSATとは、Disaster Sentaku Assistance Teamの略称です。全国各地のクリーニング師が連携を取り、断水などで思うように洗濯ができない被災地で衣類を預かり、受け入れ先の店舗で洗濯・クリーニングを依頼して持ち主に返すという、日本で前例のない取り組みです。
 
今回は、代表の中村祐一さんに支援活動の合間をぬってお話をうかがいました。
DSATの立ち上げ経緯や、活動の根底にある想いを前編・後編に分けてお届けします。


クリーニング師たちが立ち上げた、被災地の「衣生活」を支える支援チーム

—— 立ち上げメンバーはどのような方々ですか?

中村さん:「DSAT災害洗濯支援チーム」は、国家資格を持つクリーニング師を中心に結成されました。立ち上げメンバーは、東京、神奈川、長野など、皆それぞれクリーニング屋さんを営んでいます。僕らは昔からの知り合いで、「世の中の衣生活への意識を変えていくことが大事だ」と常々話していて、洗濯講座なども一緒に開催しています。

—— 当初から活動の様子がテレビなどで取り上げられていました。反響はいかがですか?

中村さん:被災地域の方からも、ニュースを見た方からも、「そういう支援があるんだ!」とか「盲点だった」と毎回言われます。
実際には、2011年の東日本大震災や、2019年に僕の地元の長野県で起きた水害などの時も被災地を個人的に支援しているクリーニング屋さんはいたんです。でも、チームで取り組んでいるところは過去にありませんでした。
 
でも、個人でボランティア活動をするのって、すごく大変ですよね。継続的な支援や個人で頑張っているクリーニング屋さんの負担も減らせるようにとの考えから、DSATというチームでの活動をはじめました。

被災地での活動の様子



みんなで支える「洗濯支援」のしくみとは

—— 個人のボランティア活動とはどのように違うのでしょうか。

中村さん:DSATの活動は、僕らが洗うのではなくて被災地域周辺のクリーニング屋さんが洗ってくれるのを後方から支援する活動です。洗ってほしい被災地の方々を、洗ってくれる周辺地域のクリーニング屋さんへつなぎ、その後、洗ってくださった分の洗濯・クリーニング代を全国の皆さんの募金から送るというのがDSATの活動です。DSATのメンバー、活動に賛同してくれる地域のクリーニング屋さん、そして寄付金などで支えてくれる全国の支援者のみなさんのおかげで、被災者の方への支援が成り立っています

 個人のボランティア活動では水道代、電気代、洗剤代といったクリーニング屋さんの負担が大きくかかりますが、DSATがそれらの費用や足りないものを支援する、というこの体制をつくることで、継続的で安定的な支援ができるようになったんです。

これまでともに活動したクリーニング店は30店を超え、全国の384名以上の方から900万円を超える募金をいただいています。(2024年10月末現在)

DSAT災害洗濯支援チームの活動のしくみ

—— 被災地周辺のクリーニング屋さんに洗ってもらうことがポイントなのですね。

中村さん地域の衣生活を支えるプロは、その地域のクリーニング屋さんだと思うので。地域で出る洗濯物も、その地域(もしくはその周辺)のクリーニング屋さんにつないで洗ってもらう。そうするとそれが地元のクリーニング屋さんの事業継続の支えにもなり、復興支援にも繋がります。それが仕組みとして一番よいと考えています。



片道6時間半。それでも能登に通い続ける理由

—— 能登まで、車でどれくらいかかるのですか?
 
中村さん:自宅のある長野県から片道6時間ほどかけて通っています。東京のメンバーが支援に行くときなどは、更にプラス2時間かけて向かいます。朝出かけて現地で状況調査や洗濯物の回収などをして、受け入れ先のクリーニング店の様子もうかがったあとは、そのままトンボがえり。うちの車の走行距離は、当初8,000kmだったのがもうすぐ50,000kmを超えそうです。車の消耗は激しいですね。
 
僕らは支援金で運営させてもらっているので、いただいた寄付はできるだけ「洗う」ために使いたいと考えています。そうすると自然と「やっぱ泊まらずに帰るか!」という思考になりますね。余計なお金を使わないように、困っている人のために使えるように。寄付してくれた方に向けて、ホームページで活動報告や収支報告も毎回しっかりするようにしています。

—— 長野県在住の中村さんですが、能登には何か特別な思い入れが?

中村さん:きっかけは七輪なんです。能登半島の先端の珠洲市というところに、珪藻土を切り出してつくる昔ながらの七輪の工場があって。
DSATのコアメンバーでもあるクリーニング師3人で「七輪部」を結成しているのですが、僕らはそこの七輪のファンなんですよ。地震が起きる2年前の秋ごろにみんなで能登のその工場まで買いに出かけました。その時の帰りには、近くまで来たついでに、と今回DSATの活動で一番最初に洗濯物の受け入れをしてくれた石川県白山市のクリーニング会社さんに顔を出したりもしていました。

DSAT結成前、「七輪部」の旅のひとこま

中村さん:そのような縁もあって、僕らの中で能登は普段から大雪や地震のニュースなどが流れるたび常に気にかけていた地域でした。令和6年能登半島地震が起きたのは、ちょうど仲間と「次はいつ行こうか」と話をしていた頃です。ニュースで震災を知り、あの工場は無事だろうかととても心配しました。



「そんな要望はない」避難所でまさかの門前払い!

——活動は順調にスタートしたのですか?
 
中村さん: それが、最初は「洗濯支援に来ました」と言っても「そんな要望は出ていません」と避難所で言われることも多かったです。食料の配給や物資の支援などはよく知られていますが、なにしろ洗濯の支援は前例がなく避難所の運営の人のところへ「洗濯で困っている」という住民の方の要望を上げるしくみがどこにもないので
でも、実際に避難されている人に聞いてみたら「それ、ぜひやってください!」と言われたんですよね。
 
僕らが最初に支援に入った避難所は、避難所を運営している20代の方のSNSのつぶやきを見たのがきっかけでした。こちらから打診をして、ようやく洗濯物を預からせてもらえることになりました。そこからどんどん広がっていった感じです。
 
10月末までに預かった衣類は18,462点以上。のべ1,830名分の衣類を、賛同いただいたクリーニング店さんに洗っていただきました。それこそ、下着から、シャツやズボンなどはもちろん、布団や着物、ぬいぐるみや、ウェディングドレスなんかもありました。

—— 活動中に心がけていることはありますか?
 
中村さん「とりあえず洗わせてくれ!」と言うようにしています。「大丈夫ですか?」「洗ってほしいものはありますか?」と聞くと、皆さん「大丈夫です」と答えちゃうので。
僕たちコアメンバーの中では「俺たちに洗わせろ!」が合言葉です(笑)

避難所で衣類を預かり、きれいに洗って返却する

中村さんそれぐらい言わないと、皆さん遠慮するんです。3、4日洗えていない人や、毎週片道3時間かけて能登から金沢までコインランドリーに通っているという方もたくさんいたのに…。「洗濯を人に頼む」という発想がそもそもないんですよね。実際、洗わせてくれと言って洗うとすごく感謝されたり、洗ってもらってよかったと言っていただけたりするので僕らも嬉しいし、これが“洗うプロ”としての責任かなと思っています。
 

※花王の「アタック」はDSAT災害洗濯支援チームの活動を支援しています。

—— 後編に続きます


◆DSAT災害洗濯支援チームHP

 
◆DSAT災害洗濯支援チームインタビュー(後編)はこちら




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